[ 傾奇御免とっぷ | 書庫とっぷ ]

「上杉史料集(下)」 pp. 288-290

井上鋭夫 校注
人物往来社 出版

ライン

上杉将士書上

(pp. 288-290)

一、慶長三年、会津五十万石へ、景勝所替に付、所々手置き候節、謙信此方、武功の家臣等も病死に付、手薄に有之候間、蒲生家の牢人召出し候。
一、栗生美濃守 外野池甚五左衛門 岡野左内 布施次郎右衛門 北川図書
  高木丹下 青木新兵衛 高木図書 安田勘助 小田切新左衛門 横田大学
  正木大膳 武蔵隼人 長井膳左衛星門 深尾市左衛門 堀源助

一、関東牢人 山上道及首供養度
度仕候由
上泉主水武州深谷城主上杉左
兵衛尉憲盛の老臣
車丹波守火車の
指物
一、上方牢人 水野籐兵衛 宇佐美弥五右衛門 前田慶次郎
右の外数十人抱へ候へども、竝々の者に付、除き申候。
右の内、此慶次郎、加賀利家の従弟に候。景勝へ始めて礼の節、穀蔵院ひつと(ひょっと)斎と名乗る。其の時夏なりしが、高宮の二福袖の帷子に、褊?(ヘンタツ)を着し、異形なる体なり。詩歌の達者なり。直江山城守兼続も学者故、仲好し。山城守宅にて、最上へ出陣の節、慶次郎は黒具足に猩々緋の陣羽織、金のひら高数珠を首に懸けて、数珠の房、金の瓢箪、背へ下るやうに懸けて、河原毛の野髪大したの馬、金の兜巾を冠らせて打乗り、三寸計りの黒馬に、緞子の□□(二字欠)にて、味噌、乾糒を入れ、鞍坪に置き、種子島二挺付けて、乗替に付けさする。最上陣の退口に鎗を合せ、高名誠に目を驚かす。異形の風情なるも、て敵味方感じけり。此時の姓名は一番ひつと斎・水野籐兵衛・藤田森右衛門・韮塚理右衛門・宇佐美弥五右衛門、以下五人、一所に合する。此時に、最上義光、伊達政宗を一手に合せ、上杉勢の退を附慕ふに付、中々大事の退口にて、杉原常陸・溝口左馬助、種子島八百挺にて、防ぐ戦うと雖も、最上勢、強く突立つる故、直江怒りて、味方押立てられ、足を乱し、追討に逢はん事、唯今のことなり。扨も口惜し。腹を切らんといひけるを、慶次郎押留め、言語道断、左程の心弱くて、大将のなす事にてなし。心せはしき人かな。少し待□□(二字欠)我等に御任せ候へとて、返し合わせて、右の通り五人にて鎗を合せ、最上勢を突返し、能く引払ひ申候。後関ヶ原一戦、景勝、米沢へ移り候節、諸家にて招き候へども、望なしと申して、妻子も持たず、寺住持の如く、在郷へ引込み、弾正太弼正勝の代に病死仕候。連歌を嗜み、紹巴の褒美の句、数多く有之候。此一句も、褒美の句に候。

賤が植うる田歌の声も都かな     ひつと斎

ライン

作成:2002/01/06

[ 傾奇御免とっぷ | 書庫とっぷ ]