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はじめに

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 前田慶次郎、あまりに無名なる人物である。例えば、織田信長、豊臣秀吉といった歴史マニアならずとも知られているような人物とは言えないであろう。近年では、隆慶一郎著「一夢庵風流記」や「週刊少年ジャンプ」誌上にて原作:隆慶一郎、画:原哲夫の両氏によって漫画「花の慶次~雲のかなたに~」などで取り上げられ、一躍脚光を浴びた。本ページの作者等は、この両文献などにより感銘を受けたものたちである。しかしそれは本を読んだ者しか解り得ない情報であり、その情報は一部の人に留まるだろう。このページを作成した最大の目的は、前田慶次郎という特異な生き方をした人物が歴史上に実在したということを、たくさんの人たちに知っていただきたいことである。

 慶次郎は戦国末期に実在した武将であるが、その特異な生き方ゆえからか現存している資料がわずかであり、その生涯の全貌を完全に知ることはできない。しかしながら、そのわずかな資料からうかがい知ることのできる慶次郎の生き方は、爽やかで痛快、かつ何よりそこには自由があった。自由は、万人が心の奥底でそれを望むが並大抵の人間ではつかめない雲のごときもの。そんな雲をつかんだ男、いや漢が慶次郎であったように思う。

 本ページを作るにあたって、我々は慶次郎の終焉の地とされている米沢の地を何度となく歩き、ゆかりの地を訪れた。そこではっきりわかったことは、終焉の地とされる米沢ですら慶次郎を知る人は少ないということであり、これには驚かされた。慶次郎の住居跡として知られる慶次清水にしてもそうである。現在、慶次清水は日々観光客が訪れるような名所などでは決してなく、うっそうと生い茂る雑木林の中にあり、清水についての説明書きすら無い所であった。さらに清水に関しては、周辺開発のため涌き水が枯れていた(2000年10月現在)。この状況を目の当たりにして、我々は本ページの作成の決意を固めたのである。

 文書内容は、手に入れることのできた資料を余す所なく紹介している。誤字・脱字があるとすれば、それらはすべて我々の責任であり、原著者とは関係がない。また各資料に関する著作権を侵害する意志は無いことを断っておく。このような方針には理由がある。一つは、かつてこのような前田慶次郎に関する資料集的なページが無かったことである。昨今のWEBページの功罪云々は他に譲るとして、その情報伝達の早さを利用しない手はないと考えたからだ。もう一つは、資料原著者に敬意を表し、現在手にできる資料をそのまま紹介することによって、慶次郎に関しての判断を読者自身に委ねたいがためである。資料のほとんどは後世の人々が資料や逸話などを元に再構成・解釈したものが多く、枝葉がついたものであることは否めず、その歴史的な資料価値は乏しいという見方もできるであろう。しかしそれは逸話にしても、慶次郎という一個の傾き者が存在したからこそ生まれたものであり、そのカリスマ性は否めないと思っている。我々は何としても戦国乱世に咲いた花、傾き者前田慶次郎という漢を、その人生の多くを知りたいし、たくさんの人に知っていただきたいと切に願うからである。

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参考資料の著作権に関して

 本ページに関する一切は研究活動に準じ、営利目的ではなく、また原著者の著作権を侵害する目的も持っていない。掲載文に関して不都合がある場合は速やかにお知らせ頂きたい。厳粛に対処する所存である。

連絡先(E-mail) : keiji_yz@infoseek.jp


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「傾奇御免」の協力者の皆様方

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殿 前田慶次研究会会長
「傾奇御免」作成全般に携わりました。
koji 殿 「傾奇御免」作成全般に携わりました。
Xana 殿 「傾奇御免」作成全般に携わりました。
haru 殿 「傾奇御免」作成、能登地区全般に携わりました。
yz_PENTAX 殿 「歴史探索」米沢市(上杉神社・林泉寺)の写真を提供して頂きました。
まっちゃん 殿 「歴史探索」前田の碑の写真を提供して頂きました。
よーぜん 殿 「書庫」史料のコピーを数点提供して頂きました。
TIGER 殿 「書庫」史料の提供をして頂きました。
監物 「傾奇御免」の管理人です。

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