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「前田慶次道中日記」現代語訳

市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記 資料編」より

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謹書啓二郎

慶長六年初冬 城州伏見より奥州米沢に至る道中の日記


 二十四日 伏見より大津に三里 大津から堅田まで三里 以上六里
 木幡の里に馬はあったが、伏見の竹田より打出の浜までは乗物に乗る。関山を越える時、詠んだ歌、

誰ひとり浮世の旅をのがるべきのぼれば下る逢坂の関

東国へ下るにも都へのぼるにも必ず越えねばならないこの逢坂を通っていると、浮世の旅(つらい人生)を逃れることの出来る人は誰一人としていない、との実感が湧くの意。

 大津より湖水を舟で移動する。
 三井の古寺、昔ながらの志賀の花園、唐崎の松、あなうの里、大比叡、横川、比良の高峯、西は瀬田の長橋、石山寺と古のことを思い偲ぶ。この石山寺は、紫式部が源氏物語を執筆したところである。その昔まで思い出して、

風の上にありかを定めぬちりの身は行衛もしらずなりぬべらなり

古今集、雑歌集に「題しらず、よみ人しらず」として出ている歌。風の上に吹き上げられて、居場所も定まらない塵のようなわが身は、行方も不明になってしまうようである、の意。

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作成:2002/01/10

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