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七尾城跡

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 七尾城は能登守護畠山氏の居城として知られてる。文明9年(1477)に応仁の乱が終わって三代守護義統が能登に入国したときに、築城がはじまったとされる。難攻不落といわれ、上杉謙信もたびたび攻めたがなかなか落城しなかった。天正5年(1577)遊佐続光の内応により七尾城は落城。天正9年、前田利家が能登一国を信長より与えられ入城するが、利家は翌年七尾城を廃し、小丸山城を築き移ったとされる。

 慶次が父利久とともに縁故を頼って金沢の利家に仕官していた時代、慶次の妻の実父、当時七尾城主の前田安勝を頼りに能登で過ごした。ここではその七尾城跡の写真を掲載する。

 また七尾城とは直接関連はないが、慶次郎が前田家に戻ってから間も無いころ能登の鹿島郡で居住していたとされる地である、松尾村の写真もここで掲載する。

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七尾城跡写真

七尾城 本丸跡
七尾城 石垣
松尾(松応)村

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作成:2002/04/06

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