[ 傾奇御免とっぷ | 歴史探索 目次 ]

ライン

愛知県名古屋市

ライン

◆熱田神宮

 古来より皇室から伊勢神宮に次ぐ崇敬を受け、三種の神器の一つ「草薙の剣」を祭る。弘法大師お手植と伝わる樹齢約1,000年のクスの巨木や、伊勢神宮にならった社殿が鎮座する。「熱田さま」と呼ばれ親しまれている。

 熱田神宮宝物館には皇室を初め庶民に至る多くの崇敬者からの奉納品4千余点が収蔵展示されている。なかでも古神宝・刀剣・舞楽面には貴重なものが多く、国宝・重要文化財・愛知県文化財に指定されたものは176点にものぼる。この宝物館に前田慶二(次)郎が奉納したとされる刀剣が収蔵されている。

○熱田神宮ホームページ:http://www.atsutajingu.or.jp/

所在地名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
交通名鉄名古屋本線神宮前駅から徒歩5分。JR東海道線熱田駅から徒歩8分。
地下鉄名城線神宮西駅・伝馬町駅から徒歩8分 駐車可。
Tel052-671-4151、(宝物館)052-671-0852
拝観時間(宝物館)9:00〜16:30(但し入館は16:10まで)
拝観料(宝物館)大人300円、子供150円
休館日(宝物館)毎月最終水曜日とその翌日並びに12/25〜12/31

⇒ [ 熱田神宮 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆荒子城址(冨士権現社)

 荒子城は、天文年間(1532〜1555年)前田利昌が築城して、利昌の子 利久(慶次郎の父)、利家、利長が居城したとされる。天正三年(1575年)、利家は越前府中に国替えとなり、天正九年(1581年)に廃城となった。「尾陽雑記」、「尾州古城誌」などによると、荒子城は東西が約68メートル、南北が約50メートルの規模を誇ったといわれる

 現在、荒子城があったとされる場所には富士権現社ならびに住居が立ち並んでいる。木花開耶姫命と菅原道真公が祭神として祭られている。荒子城主前田利家が勧請した社であり、荒子城の鎮守神であった。境内には「前田利家卿誕生之遺址」と彫られた石碑がある。

所在地名古屋市中川区荒子4丁目208番1号
交通地下鉄東山線高畑駅から徒歩15分。

⇒ [ 荒子城址(冨士権現社) 詳細 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

愛知県清洲町

ライン

◆清洲城

 前田家が仕えた織田信長の本拠として知られる清洲城は、室町時代の初め尾張の守護職であった斯波義重が清洲に守護所下津城(稲沢市)の別郭として築き、織田敏定を守護代としてその勢力保持をはかったといわれている。慶長18年名古屋城と城下町が完成すると、時の清洲城城主徳川義直はそのまま名古屋城主となり、寺や町民などまるごと名古屋へ移す「清洲越し」が行われ、清洲城は廃城となった。それまでの間、清洲は尾張の中心地として栄えた。

所在地愛知県西春日井郡清洲町大字朝日字城屋敷1-1
Tel052-409-7330
交通JR東海道線清洲駅から徒歩15分、名鉄名古屋本線新清洲駅から徒歩15分。
利用時間9:00〜16:30
入場料大人300円、小人(中学生まで)150円
休館日12/29〜12/31

⇒ [ 清洲城 詳細 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

岐阜県養老町

ライン

◆前田の碑

 岐阜県の養老町祖父江に慶次郎に関する伝承が残っている。関ヶ原の戦いの際、石田三成の家臣川瀬彦兵衛は慶次郎より息子吉兵衛を託され、祖父江に隠れ住んだ。吉兵衛は村の中央に前田屋敷と呼ばれる邸宅を構えた。近くの小川にかかる橋は前田橋と呼ばれ今に残っている。慶長17年建立の川瀬彦兵衛の墓は土の中に埋もれた状態で見つかった。すぐそばに吉兵衛の墓もあったが、こちらは墓石が処分されてしまったという。川瀬家は代々彦兵衛を襲名。庄屋を務め私財を投げ打って地元の治水に尽力したが、工事がうまくいかず破産した。
 現在この前田家の一族に繋がる人々で「鷹之羽会」が結成され、祖父江に「前田の碑」を建立した。毎年1月15日に慰霊祭が行われている。

所在地岐阜県養老郡養老町祖父江

⇒ [ 前田の碑 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]


ライン

石川県七尾市

ライン

◆七尾城跡

 慶次が父利久とともに縁故を頼って金沢の利家に仕官していた時代、慶次の妻の実父、当時七尾城主の前田安勝を頼りに能登で過ごした。七尾城は難攻不落の名城で五大山城の一つ。能登畠山家の居城として知られている。

所在地石川県七尾市古屋敷町
交通七尾駅よりバス天神川原下車徒歩約5分。(七尾城史資料館)
開館時間(資料館)9:00〜17:00
入館料(資料館)大人450円、中学生以下は無料
休館日(資料館)月曜日と祝日の翌日

⇒ [ 七尾城跡 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆加賀百万石時代村

 「日光江戸村」などで知られる、日本の歴史を再現したテーマパーク「時代村」のうちの一つである。戦国時代末期の天正年間から江戸時代初期の寛永年間までを中心に再現している。「野外時代劇ライブ」「忍者空中活劇ショー」などが行われている。この「野外時代劇ライブ」で、2002年4月27日(土)〜10月31日(木)13:30からの30分間、慶次郎が登場する「まつの物語」が行われている。

○加賀百万石時代村ホームページ:EDO WONDERLAND KAGA

所在地石川県加賀市黒崎町27-1
Tel0761-75-1777
交通JR加賀温泉駅よりタクシーで約15分、バスで約25分
営業時間9:00〜17:00(但し、12月1日〜3月19日は9:30〜16:00)
野外ライブ13:00〜(雨天中止)
休村日12/1〜3/19の毎週水曜日(但し1/1は除く)

⇒ [ まつの物語 詳細 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

富山県氷見市

ライン

◆阿尾城跡

 城代を務めた慶次ゆかりの地。菊池武勝の居城として知られている。阿尾合戦では佐々方の神保勢と戦う。慶次は片山延高らとともに菊池武勝・安信父子を護衛し、村井長頼の手助けもあり勝利する。

所在地富山県氷見市阿尾
交通氷見駅から約4キロ。駐車可。

⇒ [ 阿尾城跡 詳細 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]


ライン

山形県山形市

ライン

◆畑谷城跡

 慶長5年(1600年)直江兼続は二万余りの軍勢を率いて、荒砥から進撃し畑谷城に襲い掛かった。9月13日江口五兵衛光清は三百数十名の手勢を指揮して迎え撃ったが、自刃して落城した。

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆長谷堂城跡

 畑谷城陥落の翌日9月14日、直江兼続率いる二万の軍勢は長谷堂城に押し寄せた。そのとき城を守っていたのは志村伊豆守光安と将兵五千。直江兼続は15日、24日、29日の三度に渡る総攻撃をかけたが、長谷堂城は陥落しなかった。そして29日の夜半、直江兼続は関ヶ原敗報を受けて長谷堂城から撤退した。

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆最上義光歴史館

 戦国時代の出羽の虎将、最上家十一代目の最上義光にまつわる遺品を展示している。 最上義光が実戦で使用した甲冑や指揮棒などの貴重な展示品が数々ある中で、長谷堂合戦で敵弾を受けた兜(三十八間金覆輪筋兜)や長谷堂合戦図屏風(複製)などの長谷堂合戦の激しさを物語る遺品も展示されている。

所在地山形市大手町1-53
Tel023-625-7101
交通JR山形駅から徒歩10分。
開館時間9:00〜16:30
入館料大人300円、高校生200円、小中学生100円
休館日毎週月曜および12/29〜1/3

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

山形県高畠町

ライン

◆亀岡文殊堂

 亀岡文殊は、丹後(京都)の切戸の文殊、大和(奈良)の安倍の文殊とともに、日本三文殊の一つである。 大同2年(807年)に、東北地方布教のため当地を訪れた徳一上人が、五台山に似た山容に心うたれ堂宇を建立したのが文殊堂の始めといわれている。
 文殊堂は文殊菩薩をまつり、昔から『三人よれば文殊の知恵』といわれるように、学問の神様として知られている。入学、入社試験等の合格祈願に訪れる人があとを絶たない。

 上杉景勝公が会津から米沢へ移った翌年の慶長七年二月二十七日、直江兼続の主催で雅友二十七名と供に亀岡文殊堂において漢詩及び和歌合わせて百首を詠じてそれを奉納した、其の時の遺詠が今も文殊堂に珍蔵せられ、戦国の世の佳話として永く伝えられている。当日席に列した者は京都の僧侶泰安を始め、安田能元、岩井信能、前田慶次、春日元忠、大国実頼、宇津江朝清、来次氏其の他の人々で其の時の吟詠並にその筆蹟は今も保存されている。

所在地山形県東置賜郡高畠町大宇亀岡4028-1
Tel0238-52-0444
交通JR高畠駅から車7分。駐車可。

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

山形県川西町

ライン

◆掬粋巧芸館

 掬粋巧芸館は、観賞陶磁の美術館である。創立は昭和七年(1932)、井上家十代目の庄七が骨董好きの祖父(八代目)の影響で、明治末期から主に日本陶磁器を収集していた。大正中期に至り、中国古陶の発掘が盛んになるにつれ、東京の一部の骨董商が中国より持ち込み、細々ながら賣っていた。幸いにも当時の富豪達は茶陶に熱中し、発掘品にはあまり目を向けなかったので割安に求めることができた。庄七は蒐集が進むにつれ、後代の散逸を恐れ、昭和七年、十一代と相談して財団法人組織とした。現在掬粋巧芸館では、重要文化財をはじめとして、重要美術品四点、県文化財等、中国・朝鮮・日本・南方の計六百点弱を常時展示している。

 この掬粋巧芸館にも慶次郎の甲冑がある。これも上杉家から譲られたもので、同じ笠形の兜、朱塗りの胴と、宮坂考古館の甲冑とよく似た派手な甲冑である。しかしこの掬粋巧芸館では慶次郎の甲冑を一般公開していない。

○掬粋巧芸館 ホームページ:樽平酒造株式会社HP

所在地山形県東置賜郡川西町中小松
Tel0238-42-3101
交通JR羽前小松駅より徒歩13分
開館時間9:00〜16:00
入館料600円
休館日毎週月曜、冬季(12月〜3月)は閉館

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

ライン

山形県米沢市

ライン

◆宮坂考古館

 米沢市東1丁目の宮坂考古館は、上杉家から譲り受けた貴重な甲冑を数多く点じしているが、その中で最も目立つのが前田慶次の甲冑である。正式の名称は紫色威赤塗五枚胴具足(むらさきいろおどしあかぬりごまいどうぐそく)。赤塗りの派手な胴と草刷、兜は笠形、袖は金色の鱗形といった異風で、いかにも慶次好みの甲冑である。また、篭手やはい楯は鉄の鎖繋ぎで、実践にも適した造りになっている。
 慶長5年(1600)の上杉軍と最上軍の戦で、慶次は退却する上杉軍の殿をつとめ、朱塗りの長槍を振りがざして大活躍した。あるいは、この赤塗りの甲冑を着用していたのかもしれない。また川西町の掬粋巧芸館にも慶次の甲冑がある。これも上杉家から譲られたもので、同じ笠形の兜、朱塗りの胴と、宮坂考古館の甲冑とよく似た派手な甲冑である。

所在地米沢市東1丁目2-24
Tel0238-23-8530
交通米沢駅より南へ徒歩10分
開館時間10:00〜17:00(10月〜3月は10:00〜16:00)
入館料大人300円、大高生200円、小中生100円
休館日毎週月曜および祝祭日の翌日

[ 赤塗りの甲冑 画像 ](準備中!)

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆市立米沢図書館所蔵の「前田慶次道中日記」

 市立図書館所蔵の「米沢善本」は、内容の優れた貴重な書籍208部を集めたもので、市の文化財に指定されているが、その中の1つに「前田慶次道中日記」がある。
 この日記は、慶長6年10月26日、慶次が京都伏見を発ち、翌11月19日に米沢に到着するまでの26日間の道中日記で、慶次自筆本と伝えられている。道中の様子や土地の逸話などとともに、慶次の詠んだ俳句・和歌・漢詩も記され、文学への深い造詣が伺える。板谷では、「あつさ弓いたや超するかりは哉」と詠んでいる。
 このほか、慶次が晩年に住んだ堂森地区に、慶次が使用したと伝えられる槍と編笠を所蔵する家もある。

○市立米沢図書館 ホームページ:http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/

所在地米沢市金池3-1-14(市立米沢図書館)
Tel0238-21-6111(代)
交通米沢駅より米沢市役所−万世方面バス乗車、米沢市役所下車

[ 前田慶次道中日記へ ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆堂森善光寺

 山形県貴重文化財の長井時広夫婦座像と、同じく見返り阿弥陀如来とがある。

所在地米沢市万世町堂森字山下375
Tel0238-23-1638
交通米沢駅より米沢市役所−万世方面バス乗車、JA万世支店前下車。10台程度の駐車可。

[ 堂森善光寺 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆前田慶次供養塔

 碑文
 前田利貞は加賀藩主前田利家の甥、叔父利久に仕えて小田原攻めに参戦、後、己を知る天下唯一の武将として直江兼続を知りその主上杉景勝公に生涯を託した。慶長五年最上討伐には直江と共に出陣大いに戦い、殿軍をつとめ完全撤退を果して戦史に名を留めた。後この地堂森に居を賜り邸を「無苦庵」とよび悠々自適、この地を深く愛し卿民と親しみ、慶長十七年六月四日七十才の生涯を閉ぢた。慶次は天性豪放磊落奇行に富み文武は勿論広く諸芸道に通じ無苦庵記、道中日記、亀岡文殊奉献和歌がある。
 前田邸跡慶次清水月見平に今も慶次は生きている。
  昭和五十五年十月吉日

松心山光照院善光寺第中興三十五世 酒井清滋
上杉家家職 山田武雄撰並書
岩崎石材工業滑竝阯S吉施工
外 有志一同

所在地米沢市万世町堂森 善光寺
Tel0238-23-1638
交通善光寺の項に同じ。

[ 堂森善光寺 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆慶次清水

 米沢市万世町堂森に慶次清水と呼ばれる場所がある。木に囲まれた場所にあるこの清水は、以前は水が湧き出ていて飲料水や灌漑用水といして利用されてきた。近年では環境の変化のため清水から湧き出る水は細くなってきている。

所在地米沢市万世町堂森
交通善光寺の項に同じ。

[ 慶次清水 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆伝国の杜 米沢市上杉博物館

 平成13年9月29日、山形県米沢市に博物館・文化施設「伝国の杜」が建設。この施設は県立の「置賜(おきたま)文化ホール」と、市立の「米沢市上杉博物館」の2つが合築されたものである。市民の憩いの場所「松が岬公園」に隣接して建設された建物は、構成美を追求した現代的な建築の中にも「深いひさし」や「細い列柱」など和風建築の要素が取り入れられており、周辺の景観との調和が配慮されていまる。ホールと博物館の他に、建物の2階には「大会議室」も設けており、学会やレセプションの会場として利用できる。また、情報ライブラリーや体験学習室、喫茶コーナーやミュージアム・ショップも設置している。

○伝国の杜 ホームページ:http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/

所在地米沢市丸の内1丁目2-1
Tel0238-26-8001
交通米沢駅より車で10分、徒歩約40分
開館時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)
入館料一般400円、高・大生200円、小・中生100円
休館日毎週月曜(月曜が祝日の時はその翌日)および年末年始

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆上杉神社

 戦国の名将上杉謙信公を祀る。大正8年(1919)の米沢の大火で焼失しましたが、同12年(1923)に再建されました。設計者は、本市出身で明治神宮、出雲大社、靖国神社などの他、数多くの建築物を設計監督したことで知られている伊藤忠太博士です。 神社は、12世紀に長井氏によって築城されて以来、長井、伊達、 蒲生、上杉諸氏の居城であった米沢城跡、現在の松が岬公園の中央にあり、近くには大正12年に宝物殿として創設された稽照殿(けいしょうでん)や市立の上杉博物館、福徳稲荷神社、春日神社、旧上杉伯爵邸などがある。

所在地米沢市丸の内1-4-13
Tel0238-22-3189
交通米沢駅より白布温泉方面行きバス乗車、上杉神社下車
稽照殿 入場料大人400円、小中学生200円、高大学生300円
稽照殿 開館時間4〜11月の9〜16時

⇒ [ 上杉神社 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆上杉家廟所

 上杉家歴代藩主の廟所で、上杉景勝公逝去の際に廟所とされて以来、12代斉定公までがこの地に埋葬されている。また、謙信公の御遺骸は、景勝公の移封に伴い、会津若松城から米沢城に移されましたが、明治新政府の「破城令」により、米沢城が解体され、明治9年に城跡から当廟中央に移葬された。 境内には老杉が多く、戦時中かなりの数が供出されましたが、今なお樹齢400年を超える老杉があり、静寂を極めている。

所在地米沢市御廟1-5-30
Tel0238-23-3115
交通米沢駅より田沢方面行きバス乗車、御廟前下車
香華料大人200円、大学・高校生150円、小・中学生100円

[ 上杉家廟所 詳細 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

◆春日山林泉寺

 上杉家先祖の菩提寺を越後高田から移し、歴代藩主の奥方、子女及 び重臣の廟所になっている。文武兼備の名将直江兼続、武田信玄の子息で上杉景勝の正室菊姫の弟、武田大膳太夫信清などの墓がある。

所在地米沢市林泉寺1丁目(山形大学工学部より西へ100m)
交通米沢駅より白布温泉方面行きバス乗車、山大前下車、徒歩約15分。
Tel0238-23-0601
入場料(境内)100円

⇒[ 春日山林泉寺 画像 ]

[ 歴史探索 目次へ戻る ]

ライン

[ 傾奇御免とっぷ | 歴史探索 目次 ]