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荒子城址(冨士権現社)

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 荒子城は前田家の居城として知られている。荒子城は天文年間(1532〜1555年)前田利昌が築城した。荒子城は「尾陽雑記」、「尾州古城誌」などによると、東西が約68メートル、南北が約50メートルの規模を誇ったといわれる。慶次郎の父、利久も父利昌が亡くなって(永禄二年(1560年))から、信長に追放される(永禄十年(1568年)10月)までの間、荒子城城主であった。利久が追放されてからは、利家が荒子城城主となる。天正三年(1575年)、利家は越前府中に国替えとなり、天正九年(1581年)に廃城となった。

 現在、荒子城のあった場所には富士権現社ならびに住居が立ち並んでいる。富士権現社は木花開耶姫命と菅原道真公が祭神として祭られていて、前田利家が勧請した社であり、荒子城の鎮守神であった。境内には「前田利家卿誕生之遺址」と彫られた石碑がある。現在実際の館が建っていたとされる場所には民家が建っている。また堀の跡も一部残っている。

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荒子城址(冨士権現社)写真

荒子城址、冨士権現社(一)

荒子城址、冨士権現社(二)

その他

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作成:2002/03/10

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