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荒子城址、冨士権現社(一)

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荒子観音寺入口
撮影日:2002/03/09

荒子観音寺の入口から撮った写真です。荒子観音は浄海山円龍院観音寺といい、古く奈良時代の創建と伝えられてます。古い時代に一時荒廃したが、前田利家によって本堂が寄進された。名古屋市内で最も古い木造建築である「多宝塔」や、1,200体を越す円空仏が残されている。

この付近は道も入り組んでいて、いきなり荒子城址に行こうとすると、まず迷います。まず荒子観音寺に行ってから、看板や道路に描かれた「犬千代ルート」を頼りにして行くと良いでしょう。

冨士権現社の入口から撮った写真です。ここに荒子城があったとされるのですが、城の跡はほとんど見ることが出来ません。

私が行った時(2002/03/09)には観光客が十数人いました。その多くは利家目当てのようです。「利家とまつ」の影響をここでも感じました。境内には「利家とまつ」のポスターも貼ってあり、思わずニヤリとしてしまいました。

富士権現社入口
撮影日:2002/03/09
荒子城址立て札
撮影日:2002/03/09

「荒子城址」の立て札を拡大して表示してみました。これでもまだ文字はよく見えませんが・・・。下にこの立て札に書いてある内容を、英文も含めて記入いたします。


荒 子 城 跡

 荒子城は、天文年間(一五三二〜五五年)前田利昌が築城、その子 利久、利家、利長が相継いで居城した。
 天正三年(一五七五)利家が越前府中(福井県武井市)に、同九年に利長も同地に移るにおよび廃城となった。
 「尾陽雑記」、「尾州古城誌」などによると、この城は東西が約六八m、南北が約五十mあり、一重堀を巡らしていたとある。

名古屋市教育委員会


Site of Arako Castle

This castle was constracted by Maeda Toshimasa during the Tenbun Period (1532-55). The document "Biyo-zakki" says that it measured about 68m in the east-west derction and 50m in the north-south derection.

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作成:2002/03/16

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